Profile

遠藤 政幸

[エンドウ マサユキ]

盛岡市議会 / 現職
遠藤 政幸

略歴

1999年
盛岡市議選初当選

Interview

取材日 2018/2/13 聞き手 吉田拳
― 遠藤さんは、どちらのお生まれですか?
遠藤:私は生まれも育ちも盛岡です。生まれたのは、おふくろの実家があった夕顔瀬町。
― 幼い頃から盛岡で過ごされたんですね。
遠藤:そうですね。国鉄や日本通運の車庫が近くにあったので、機関車かトラックを見せれば泣き止むという子供だったみたいですよ。幼稚園の時に西青山に移って来て、それからはずっとこっちに。もう39年になるね。
― 高校はどちらに?
遠藤:高校は、盛岡工業高等学校。父が建設会社をやってましたから、跡を継ぎたいと思って土木科に入ったんです。
― 高校卒業後はどうされたんですか?
遠藤:土木の道を極めたかったんで、東京の専門学校に入ろうと思ってたらば、「いやお前は東京行ったら帰って来なくなるからダメだ」と周りの人たちからいろいろ言われて。その時に、今もお世話になってる玉澤徳一郎先生(元国会議員)が青山に住んでいて。父もずっとお世話になっていて、ずっと選挙のお手伝いをしてたんですけども。玉澤先生がたまたま落選した時があって、当時、富士大学の講師をやられててね。「富士大学に入ったらどうだ」「これからは大学卒業じゃなきゃダメなんだ」と、うちの父にお誘いがあってね。私はずっと昔から野球やってて、ちょうど富士大学でも野球の選手が欲しいということもあってね。そこに入って経済学を勉強していました。今でも得意という訳じゃないですけど(笑)
遠藤政幸
― 遠藤さんが高校生の時、もうお父様は議員だったんですか?
遠藤:やってましたね。高校の時も選挙の手伝いをしましたし、大学に入ってからは花巻の大学生を引っ張ってきました。当時はまだ選挙の公示板っていうのがないんですよ。アルバイトが道路の沿線に軒並み立てていくんです。だから、人が多ければいっぱい貼れるっていう、そういう時代でしたからね。同級生とか喜んでやってましたね。みんなで泊まりながらやりましたよ(笑)
― 大学卒業後はどうされたんですか?
遠藤:私は長男だったので、父の建設会社を継がなきゃいけないかなと思って、遠藤工務店に就職しました。まあ私の気持ちよりも、父がレールを敷いていましたので、父の言うことを聞いて。もともと実家は酒販店なんです。当時、となりにミニスーパーがあって、そこも家族でやってました。
― へぇ~、ご家族でいろんな事業をされていたと。
遠藤:今もう全部辞めましたけどもね。うちの父の時はバブルで良い時代でしたし、あとは松尾鉱山が閉山して、みんな盛岡に自宅を求めてきたんですよ。その方々のお仕事を全部親父がいただいて。最盛期は、スーパーの二階に職業訓練校の大工の見習い30人を泊めて、賄いのおばさんが2人いて。子どもの時はずっと(大工と)一緒に飯食ってました。他からも(大工が)通ってくるわけですから、凄かったです。住宅メーカーが立派なのを短期間で建てるようになって、親父はすぐ見切りをつけて(事業を)やめて。その後、(父が)もう一花咲かせたいな、と言って、ちょうど安比スキー場が出来た頃だったので、民宿をやったんですよ。うちはスキー場に一番近い民宿で、別館と合わせて150人泊まれました。当時はシーズンになるとお客さんがとにかく多くてあふれるんですよ。うちはスーパーもやってたから、食材を持って1日何往復したことか……。それも10年くらいかなあ。スキーブームが去ったのでやめて。
遠藤政幸
― はえ~、すごいですね。
遠藤:そういうわけで、 22歳から38歳までは建設会社もやったし、スーパーの代表もやりました。途中で、親父が肩書き全部抜いて市会議員をやるって言って、経営から離れたので、お前が全部代表をやれ、ということで、おふくろが経理の方に回って、従業員をたくさん雇って、という感じになりましてね。その後、38歳の時に初当選させていただきました。
― なるほど。ちなみに、今も何か事業をされてるんですか?
遠藤:たまたま声がかかって、コンビニをやってます。と言っても、自分が動けるわけではないので、弟に任せてました。いわゆるオーナーですね。今やってる仕事は議員だけです。
― 議員なったのは、お父様からバトンタッチという感じですかね?
遠藤:そうですね。でも自分は若い頃(議員をやるというのは)考えたことがなかったです。だからカミさんと一緒になる時も、父の後を継いで議員にならないことが条件だったんですよ。「俺がなれるわけないだろ」って、カミさんと一緒になりましたから。だからもう何回離婚しなきゃならなかったか……(笑) 選挙のたびに頭下げて一緒にいてもらうんだけどね。いまだに、議場で質問なんかしてる時に「自分は本当にここに立ってていいんだろうか?」と思いますね。だから、自分の身の丈に全く合わないことを今やっていると思います。
― 後援会は、やはり青山の人が多いんですかね?
遠藤政幸
遠藤:そうですね。地元で盛り上がって、親父を議員にしたわけなので。ですから、親父で20年、私で20年、まだ後援会にいてくださる方もいらっしゃいます。親父と私で40年付き合ってくださってる。今だいたい70歳、80歳の方々ですよね。ほんとにね、ありがたくてありがたくて。もう感謝のしようがないですよね。もう俺たちは引退だぞ、って言いながら、選挙があるごとにまた来てくれるんですよ。そういう、つながりですね。
― なるほど。ちなみに、二世議員って地盤も継げるし、いいことばかりなような気がするんですが、逆にマイナスなことはあるんですか?
遠藤:ぱっと思いつかないかなぁ……。まあ、これまでは良い時代だったじゃん? うちの父の時代は、政務調査費は第二報酬だったし、視察いけば現地解散でそこに家族呼んで観光旅行とかそういうのがザラで、海外視察もレポートもなしで、というような時代だったわけで。そういう時代だったら、二世、三世と議員をやってもいいんだろうけど。今の時代ねえ……あんまいいことないんじゃないの?(笑)
― ちなみに、ご家族は?
遠藤:娘が4人いまして、孫も5人います。長女も次女も近所にいまして、いつも賑やかですよ。必ず毎月誰かの誕生日があるもん。風邪引いたなんだかんだって来たり(笑) うちは託児所みたいなもんだ。置いてかれるもん(笑)
― (笑) 誰か地盤を継いで議員にならないんですか? 女性議員も最近は増えてきてますが。
遠藤:無理無理無理無理無理。なりたかったらすぐ譲るぞ? 地盤もなにも全部譲る。
― なんでですか(笑)
遠藤:うちの子どもたちが「市会議員になっていろんなことに携わってみたい」というなら批判することはないけど。でも四年に一回の審判も含めて、なかなか大変ですよ。あと、昔は町内会とか地域の人みんなで声かけあって、いろんなことで近所付き合いして仲良かったけど、今はもう近所トラブルから何からすごいじゃないですか。PTAからなにから、ありとあらゆることが来ますよ。やってて、ほんと大変で。そういうのをさらっとできる人じゃないと、できないと思う。あと、まだ盛岡の市議会議員だったら生活できるけど、他の岩手県内の市町村議員は、専業では無理だよ。
― なるほど。
遠藤:まあでも、今、国の方で議員年金復活させようとしてるから、それは正直ありがたい。うちらね、それができるまで議員続けさせてもらわないと補償ないもん。ほんとだよ。若い人が興味持つわけないよ。だから議会改革も含めてどんどん進めていく。でも進めていけば、たぶん定数削減になるべからな。議員報酬削減はさせてもらいたくないね。それよりも定数削減をするべきだと思う。国も県も早く(先例を)示してほしいよね。
― なるほど。次に、青山地域についてお話いただきたいんですが、平成26年12月の議会で「青山駅周辺のまちづくり」についてご質問なさってますよね。
遠藤政幸
遠藤:以前から「駅の誘致をしておけばよかった」という話を高齢者の方たちから聞いていてね。(2002年に)盛岡以北(の路線)がIGRになるってことで、乗降客を増やさなければならないという中で、(2006年に)青山駅ができまして。もう願ったり叶ったりですよ。どうしても盛岡は、川があって橋がないと渡れないとか、鉄道が走っているために踏切を越える、ということが多くて、交通の便はあまり良くない。特に青山地域っていうのは本当に大変なんですよね。厨川中学校のところも、森永乳業のところも、踏切が広くなったし、そしてIGRの本社も建ったってことを考えると、青山にとっては感謝しきれない状況ですね。盛岡駅周辺は土地も家賃も高いですけど、一駅乗ってきただけで閑静な住宅街になる。そして環境がいい、全部のものが揃っている、ということが好条件になって、青山ではどんどん人口が増えてるんですよ。厨川中学校も去年(※2017年)からまた盛岡市内で一番生徒数が多くなったんですよ。市営住宅の建て替えも始まってますし、これからもさらに環境が良くなって行くのかなあと思っていました。
― 青山地域は順調に成長していると。
遠藤:町おこしもやっていますよ。以前、地域共同推進計画でまちづくり協議会を作るって時に、市がモデル地区を募集してて、市の方でやってくれるんなら一番最初に手を挙げようと思って、町内会長をまとめて手を挙げました。青山、本宮、城南の3つがモデル地区になりまして、うちでは青山地区まちづくり協議会ができたんです。今までは町内会だけで地域活動をやっていたのを、まちづくり協議会として活動することで、多くの商店街やPTA、消防団や企業のみなさんと1つになって、一気に町おこしをやれるわけですよ。市も資金を出してくれて、市の職員も応援に来てくれて。だからみなさん町おこししましょうよ!って言ってね。それで当時、国の施設で騎兵隊の訓練場所だった覆馬場が六棟あって壊していたんだけど、一棟だけは歴史的な建物だから遺そうということで、国から取得して整備して、保存活用しようということになってたんですね(※盛岡ふれあい覆馬場プラザ)。そこの整備が終わって、指定管理者を募集しますよって時が、ちょうどまちづくり協議会を立ち上げた時だったので。だったら、指定管理を受けてここを活動拠点にして、ここからいろいろ発信していこうということになって。なんとかうちが管理者になることができて、今やってました。
― なるほど。そういえばこの前、雪あかりをやってましたね。
遠藤:うん。盛岡雪あかりのサブ会場に手を上げて、覆馬場プラザ周辺を青山会場って事で登録させてもらって、3日間のうち2日間やりました。他にも、たくさんの外部の人たちが覆馬場プラザを利用して下さってて、ほんと盛り上がってますよ。ベアレン赤レンガビール祭りとか。
― なるほど。話は変わりますが、水道水未給水地区の早期解消についてもご質問されてましたね。
遠藤:その質問は、会派の幹事長という立場でやらせてもらいました。盛友会は18名いますけど、基本はそれぞれの地域の立場で発言してるんです。で、これまで幹事長は代表質問をするだけだったんですが、そろそろチーム政友会という形で、ここ一番推しを効かせたいという時にインパクトのある質問をして当局を刺激して、市民の声を結集させたらどうかと。じゃあ次やってみようということで、この前、一歩踏み込んで欲しいという意味を込めて質問させてもらいました。私も市民のみなさんから大変だと聞いてましたしね。
― 場所的には、やはり玉山と北大ヶ生地域ですかね?
遠藤政幸
遠藤:それから繋十文字のあたりもそうなんですよ。御所ダムが出来たのも理由の一つなんだそうです。水が干上がったり、雨降ると濁ったりするそうで。私も(市に)相談したんですけど、そしたら「雫石からもらってください」って言われたんですよ。いやいや、そこは盛岡の当局サイドからが言うことじゃないでしょ、と。そこを取り持ってくれるのが行政だろうしね。
― なるほど。最後に、これからの盛岡のビジョンについてお話いただけますか。
遠藤:うちらはさ、一議員だから大それたことは言えないんです。いずれ首長さんが様々なことを公約として立ち上げたことを後押ししながら、枝穂をつけていく役目なのかなと思います。様々な先進地視察させてもらうと、考えさせられることが様々あります。取り入れていけることはどんどん取り入れながら、住み良い街になっていけば、と。視察に行って「なんでこういういいことをやろうと思ったの?」と聞くと、どこの地域でも最後は「市長の公約なんですよ」って。(市役所の)部長であっても何にもできないんですよ。市役所の職員を批判するわけではないですけど、今の時代、永久就職なんてないじゃない?でも公務員に限っては、ちゃんと保証されて、退職金が出て、年金いただけるんだから、まあ早い話、身を削ってまで何か挑戦しようとしなくてもいいわけで。そこを一緒に盛り上がって行けるような議員になれればな、と。あと、良いことやってる職員さんたちが異動させられたりとか、「なんで?」って思うこといっぱいあるんですよ。うちらが見て気づいたことをお話しさせてもらうことで、盛岡市全体がいい方向に向かえば、いい街になっていくんじゃないかなと。
― なるほど。本日はありがとうございました
遠藤:ありがとうございました。