Profile

高橋 和夫

[タカハシ カズオ]

盛岡市議会 / 現職
高橋 和夫

略歴

1939年
盛岡にて生まれる
1958年
盛岡工業高校普通科卒業
同年
日本国有鉄道好摩駅 就職
1974年
玉山村議会議員に初当選
1986年
国鉄民営化(兼職禁止)により退職
2006年
盛岡市との合併により盛岡市議に。通算11期目

Interview

取材日 2017/5/23 聞き手 吉田拳
― 高橋さんはどちらのお生まれですか?
高橋:生まれは盛岡市です。昔、盛岡駅の反対側、西側に盛岡工場っていうのがあったんですが、そこの前に鉄道官舎があって、そこに住んでいたわけです。
― そうすると、親御さんが鉄道のお仕事をされていたんですね。
高橋:うん。いわゆる転勤族なわけだ。俺が生まれた当時は、親父は盛岡の駅にいだったのさ。それから転勤をして釜石に行ったり、上盛岡に来たり、秋田の陸中花輪に行ったりな。小学校の六年生の時に、親父が亡くなって、ちょうど好摩にいだったからな、そこに家を建てて、そこに住んだ経緯があるんです。それで好摩の小学校と中学校を出ているわけ。
― なるほど。子ども時代はどのように過ごされましたか?
高橋:小学校の六年生までは、どちらかといえば裕福な生活。小学校六年生の時に親が亡くなったものだから、生活がバタンと大変になった。今でいう母子家庭だな。おふくろが働いて俺たちを学校に入れてくれたってことだな。
― そうすると、盛岡工業高校をご卒業後は。
高橋:即就職。国鉄の好摩の駅に入った。親父も鉄道屋だからな、そのあとを引き継いだという感じだな。
― 結構長く勤められたんですか?
高橋 和夫
高橋:うん。28年。それで国鉄の合理化があったでしょ。その時に退職したことになっているの。というのは、(国鉄在職中に)すでに俺は(旧玉山村議会)議員をやってるんだよな。当時は国鉄職員と(議員の)掛け持ちができたんだけれども、JRになるときに掛け持ちはダメということでな、俺は議員をやめて職場に戻ろうと思ったけれどもな、代役がいなくてな(笑) 皆さんから応援もらって当選して、自分の都合で議員をやめるというのは申し訳ないなということで、議員の仕事を続けることにしたのさ。
― 政治に関わるようになったのは、どういったきっかけですか?
高橋:中学校の2年生の時に社会科の授業でな、資本主義とはどういうものか、社会主義はどういうものか、共産主義はどういうものかという授業を受けたわけよな。その時に自分の生活が苦しかったから、共産主義というのが一番いいなという風に思ってたのさ。卒業したら、そのことはもうストンと忘れていたわけだけども、就職した年にな、ストライキがあったのよ。警察官職務執行法ってやつがあってな、それを成立させれば、オイコラ警察が始まるっていうことで、ストライキに参加したわけさ。それが労働組合とかの活動に入るきっかけっていうかな。
― 共産党に入られたのはいつ頃ですか?
高橋:1960年の安保闘争終わってからの12月。その時は20歳かな。それからずっと。まず共産党員って、どちらかといえば差別されるからな。いろんな面でな。職場で「(党員を)やめろ」、なんてよく言われたけどもな。それで26歳で立候補したのさ。公認でな。
― 出馬のキッカケというのはなんだったんですか?
高橋:玉山で候補者がいねがらよ。俺の前に出ていた人がいたんだけれどもさ、代われということになって俺が出ることになったんだけれどもさ。26歳から何回落ちた?……26、30、33の時の補欠で3回落選か俺。3回落選して4回目でとれたんだよ。その時は34歳。
― そこから玉山村議員を8期なさって、2006年の合併で盛岡市議になって、それで盛岡市議としては4期目でいらっしゃると。通算11期っていうとかなり長いですよねぇ。
高橋:今43年目。長いだけだけどな(笑)
― いえいえ(笑)。その43年間にいろんな仕事をなさって来たと思うんですけれども。
高橋 和夫
高橋:私の議会での問題の取り上げ方っていうのは、住民の人からのいろんな要望、意見があったものを取り上げてやるという形なんだよな。だから盛岡全体に関わるデカい問題が来るとすぐにはなかなか難しいけども、玉山村議時代には、例えば幼稚園を作らせたり、老人ホームを作らせたりな。そういう風なことをやってきたな。あとは、吃音でうまく話せない子どもたちに言葉の教室を、という働きかけしたりな。盛岡市議になっては、あんまりパッとしたのはねえけど、皆さんはあまり気が付かないような問題をポイポイっと取りあげてはいるかな。例えば、話題になる前にPM2.5の問題を議会で取り上げたりさ。先、先、というような形で今(質問を)やってます。
― 聞いたところによると、高橋さんは現在の盛岡市議の中で最高齢ということで。
高橋:うん。今回の任期が終わった時には80歳になってますんで。そこまで生きていればだ(笑)
― いやいや(笑)。なおさら高齢者問題にはご関心が高いと思うんですけれども、2016年に「老人にやさしい盛岡市にするための対策」について質問されていましたよね。これにも関連して、盛岡の今の高齢者問題の現状と今後についてのお話しいただきたいなと思うんですが。
高橋:今の政治っていうのは行政がやらないで第三者にお任せの傾向が非常に強いんだよな。本当は障がい者とか高齢者の施設なんかは、行政がやるべきものだと思うんだけれども、みんなそれを民間にやらせて、任せっぱなしな感じがする。いずれ高齢者になるのは、みんなが通る道だから、ちゃんとした体制を作っておかないとうまくない。やっぱりさ、死ぬときはさ、「俺の人生いがったな~」と思って死ねるようにしないとな。いろんな相談が来るんだけれどもな、やっぱり高齢者の相談が多い。例えば、年金が少ないのに医療費が上がってくるとか、負担が増えてくるとか。1割負担から2割になったりな、来年から3割になるべ。とてもじゃないけど医者に行けないという話になるし、(薬代がないから)薬を分けて飲むんだよな。1日に3回飲むのを2回にするとかさ。それじゃあ良くなんねえんだよな。医者の指示の通りにやってないからさ。結局は貧困なのさな。その貧困をちゃんと行政がみてやらないと、良くならないんじゃないかなあという感じだなあ。年金が増えていけばいいけど、減っていくからな。
― なるほど。高橋さんは好摩にお住まいですよね。玉山地域についてもお話いただきたいのですが、2016年12月議会で「新市建設計画」についてご質問なさってましたよね。
高橋:合併するときに盛岡市と玉山村で話し合いをして、将来の玉山地区をどうしていくかという計画を作ったわけよな。地元の要望を聞きながらさ。それがなかなか思うように進まない。まあ、財政的な問題もあるべしさ。玉山も、旧盛岡市もだいたい400平方キロで、同じ面積なんだよな。まあ、人口は盛岡が28万人で玉山は1万4000人だけれどもさ。それで、玉山には学校が結構あるわけさ。合併することによって、学校維持がなんとかなるかな、という希望があったのよな。ところが生徒がどんどん減っていくものだから、そこも廃止、ここも閉校というような形になってきた。
高橋 和夫
   そうであれば、合併しなくても閉校するんだから、やはり(合併)しなければよかったかなあ、と思ってな。最初は玉山議会の半数くらいが合併に反対だったのさ。時間経つにつれて考え方が変わってきてさ、最後まで反対したのは2人だけだった。今、玉山から2人の議員が出ているけれども、1人は(当時の)推進派、1人は(当時の)反対派なんだよな。盛岡の人から言わせれば「なんで和夫が(議席を)とれるんだ?」と。だから、(この状況を)なんとかしてくれないかなあ、という期待が(玉山の人々に)あるのかもしれない。責任は重いよな。もちろん、いつまでも合併反対とは言ってられないから、今は「早く(新市建設計画を)やれ」という話になるんだけれどもさ。ただ、全部が全部できるかどうかは、ちょっと疑問だな。
― なるほど。2017年3月の議会で「産廃処理施設撤回の申し入れ」という質問をなさっていますね。
高橋:玉山と滝沢との境に、岩手県の一本木試験場があるでしょ。そこは玉山なんだけれども、そこを挟んで反対側に民間の自動車学校があってさ、そこを廃止したもんだからさ、そこの跡地にNIPPOっていう会社がアスファルトとかコンクリートとかを持ってきて、再処理をして製品にするっていう工場を作りたいという話が出たのさ。そっち側は滝沢になるんだけれども、そこから直線距離で300mくらいのところに玉山地域の人たちの飲料水の水源があるのさ。上流のほうで再処理工場の、例えば何かよくないものが沈殿して水に入ってくれば玉山の方が影響を受けるということで、地元の人たちが反対しているわけさ。なんでこの問題が大きくなったかというと、玉山に住む1万4000人のうち、だいたい8000人くらいがその水源を使っているわけ。だからな、非常に重要だということもあるし、もう一つ、10年か、20年くらい前になるかなぁ……。そこからちょっと南に行くと、留が森という場所があって、ラジオメディカルセンターという医療用廃棄物の処理場っていうか、研究所ができたのよな。そこも滝沢なんだけども、煤塵の心配とかいろいろあったわけさ。当時、反対運動を受けて、村議会が一丸となって抗議したんだけれどさ、結局つくられてしまったのさ。そんなものがまた来るものだからな、地元は過敏になっているんだよな。岩手山の方から風は来るし、水も高いほうから低い方へ流れるから、みんな玉山に来るのよな。だから、なかなか「はいそうですか」という風にはいかない。
― なるほど、以前にも同様の件があったと。
高橋:ラジオメディカルセンターに関しては、滝沢市と日本アイソトープ協会が相談をして(対策を)やっているわけだけれども、玉山は直接関係してはいないんだよな。(滝沢市と)公害防止協定は結んでいるけれども。年に一回報告しますという程度のな。だから、不十分だということで、もう一回(協定を)やり直すべきでねえか、という話はしてました。最近、特に放射性医療廃棄物をあそこで処理をしたいという話があって、地元の滝沢市民の方々が中心になって頑張って、それはやめさせたんだよな。ただ、また同じ問題が出てくる可能性がある。医学が進歩すればいろんなものが出てくるわけだからさ。だから、発展の過程なのかもしれないけれども、皆が納得できるような内容でないと、了解はできないですな。
高橋 和夫
― なるほど。ところで、高橋さんは「一般質問ギネスに挑戦中」とお聞きしたのですが、これはどういうことでしょう?
高橋:あと2年(議員を)やれば、(一般質問をした回数が)179回くらいまで行くかな。達者でいれば。だからそれはやらねえとな、と思ってました。一般質問のチャンスは全部生かして住民の声を市に届けるというのが基本だからな。
― なるほど、一番を目指すぞ、というよりは、質問のチャンスを無駄にしない、ということですか。
高橋:そうそう。普通に生活していれば、皆から相談がくるのよ。その中から拾えばな、3か月で5~10項目は聞かなきゃない内容が出てくるんだよな。その中からピックアップして5つくらいするんだけれどもさ。でな、俺のモットーは「盛岡市の用務員です」ということなんだよ。議員ではありません、先生とは呼ばないで下さい、と。だから、みんなが気楽に声をかけてくれるな。俺は今77歳だけども、「かずおちゃん」って来るからな(笑)
― 毎回必ず質問する、というのは凄いことですね。ちなみにですが、過去に1回だけ質問をしていない回があったそうですね。
高橋:あのね、一般質問の締め切り日というものがあるわけよ。それ俺うっかりしてたのさ。そしたっけ、一日遅れてから事務局から「今回は(一般質問を)やらないんですか?」みたいな話をされたのさ。「電話でも喋れば準備しますよ」というような話をされたけども、締め切りを過ぎたものをごまかしたのでは、あとで問題になると思ってな(笑) それは自分の責任だからな。
― なるほど(笑) 話は変わりますが、若い人に何かメッセージはございますか?
高橋 和夫
高橋:若い人はね、政治に関心をもってもらいたいと思う。「今の政治はロクでもねえから」って反抗してたってな、決めるのは国だからな。そこを変えないことにはさ、良くならね。だからむしろ積極的に議員になるとかさ、そういう風な形を俺はおすすめしたいね。私は年齢も年齢だから、若い人に期待しています。あと、若い人はね、高齢者をじゃんじゃんと使うことよ。「何かいい方法ねえか?」ってな。そうしなきゃだめだ。
― なるほど。最後に、盛岡は今後こういう街になっていったらいいんじゃないか、という点についてお聞きしたいのですが。
高橋:私はね、やっぱり日本の基幹産業は農業だと思うんだよな。それを減反、さらには政府の方で米買わねとなってきてる。やっぱりな、農業を潰したのでは日本は終わりではないかなと思う。だからもっと農業に力を入れなければいけないと思っているし、今年の予算でも農業の予算は全体の約2.5%。ほんのわずかなんだよな。これではね、ちょっと農家の手助けにはならねえなあ。どこか企業を呼んできているかといえば、企業もねえんだよな。玉山でも外国から来た労働者がたくさん働いている企業があるけどもな。地元に若い人がいるはずなんだよな。ちょいと考え方を変えて、外国から労働者が来なくてもいいような、地元で若い人が働けるような体制を作っていかないと、盛岡は伸びねえなと思う。やっぱり農業に力を入れて、若者が働ける場所を作る。そうすれば商店も流行るわけだからさ。そうしねえと商業もうまくいかねえと思うよ。
― なるほど。本日はありがとうございました。
高橋:ありがとうございました。