Profile

村上 貢一

[ムラカミ コウイチ]

盛岡市議会 / 現職
村上 貢一

略歴

1963年
盛岡市緑が丘生まれ
1976年
盛岡市緑が丘小学校卒業
1979年
盛岡市黒石野中学校卒業
1982年
盛岡市第四高校卒業
1987年
桜美林大学経済学部商学科卒業
同年
栄冠教育研究所 アルパ玉山 入社
1988年
村上米穀店 入社
2005年
村上米穀店 代表取締役就任
2011年
盛岡市議選初当選(現在2期目)

Interview

取材日 2017/4/4 聞き手 吉田拳
― 村上さんは盛岡のお生まれだそうですね。ずっと緑ヶ丘に住んでらっしゃるんですか?
村上:そうです。大学の時は6、7年ぐらい東京の方に行ってましたけど、それ以外はずっとこっちに。
― 学生時代はどのように過ごされました? サークルとか部活とか……
村上:中学校は野球をやって、高校に行って柔道をやって、大学ではワンダーフォーゲル部でした。
― 体育会系ですねぇ
村上:そうですね。そして、うちの大学のワンダーフォーゲル部は名ばかりのワンダーフォーゲル部で、実質中身は山岳部で。日本の三大アルプス、南、中央、北アルプス、はほとんど登りました。冬も行きましたね。あとはロッククライミングとか沢登りとかもやってたんで……まぁ死ぬかと思うこともありました (笑)
― なるほど (笑) 大学を卒業後はどうされたんですか?
村上:最初は、新規に立ち上げたベンチャーみたいな会社があってですね、そこに入って働いてました。なんていうのかな、今だと会員制のスポーツジムとか普通にありますよね? それの先行型というか……。上司の方が全員ホテル出身者とか関係者だったので、まぁなんとなくホテル業界の感じの会社でした。今はなくなってしまいましたけども。
― その後、盛岡に帰ってこられて、ご実家の村上米穀店を継がれたと。
村上:そうです。25歳ぐらいの時に、そろそろ帰った方がいいかな、みたいな。
村上 貢一
― 議員さんになられるっていうキッカケは何だったんですか?
村上:地元の緑が丘3丁目に、今は現役を退かれましたが、市議会議員を2期、それから県議会議員を4期くらいなさった佐々木博前県議がいるんです。佐々木県議が1回目の県議選に出るときに、後援会の青年部の部員になって選挙に関わって。最終的には8年くらいですね、佐々木博後援会青年部の部長やってたんですよ。まぁ、それがきっかけで、「お前だったらやってみないか」と言われて。最初の打診があった平成19年の選挙の時には、まだ子供が小さくてですね。まぁ、もうちょっと子供が大きくなってからっていうところもあったりしてですね。最初の時は辞退させていただいたんですけれど、それから4年経って、子ども達もだいぶ大きくなってきてですね、「よしっ」ということでまず、背中を押されたような感じで出馬しました。
― なるほど。村上さんは2期目ということで、いろんなお仕事をされてきたと思うんですけれど、実績と言うと堅苦しいですが、「こういうことしたなぁ」という実感がわいたお仕事があれば教えていただきたいのですが。
村上:議員になって一番最初に、自分なりに成果と感じたのはですね、それこそ今みなさんもSNSとかLINEとかFaceBookとかやってますよね。いわゆる情報化社会の中にあって、盛岡市がまだ情報化に消極的だったんです。それを議会で私が取り上げたのが、一助になったとは自分では思ってるんですけど、盛岡市が情報化に向けてFacebookアカウントを立ち上げたんですね。いわゆる情報化の推進ですね。
― なるほど。
村上:あと、去年、大通りの周辺の方々、住民や事業者さんから、いわゆる客引き行為、スカウト行為があまりにもひどい、子ども達が安心して歩けない、大変困ってるっていう話を直接伺って。国体も控えてたので、議会で取り上げて、その現状や対策を議会で議論をしたことが盛岡や岩手の地元新聞社で大きく取り上げられて。
村上 貢一
  それがキッカケになってですね、関係者と行政の連携、取り組み強化、あとは市民の意識の向上につながったと。いくらか大通り地区周辺の健全化に寄与できたのではないかと。大通り商店街の方々からも、「やってもなかなかね」っていう閉塞感の中で、「村上君がとりあげてくれたことによって一気に気が熟した」と、すごく評価を頂いてですね。あれは自分なりに嬉しかったですね。
― なるほど。村上さんは2016年3月の定例会で「障害がある子供への配慮」について質問なさっていますね。
村上:そうですね。私は基本的に現場主義で、障がいのあるお子さんを持っているご家族とか、例えば先天性意識障害と言って、あるきっかけによって寝たきりになっているお子さんを抱えたご家族の方とかですね、そういう方々の話を直接聞いて、「これではいかんぞ」ということで動いてます。議会での質問はその一環ですね。それから議会で質問することによって、市民に(そういった状況があることを)知らしめる、っていう意味もあります。
― 2016年6月の定例会では「日本版DMOの導入」についてご質問なさってましたが、そもそもDMOとはなんでしょうか?
村上:まず、今まで日本の観光とかはKKOの考えで取り組んでいたんです。
― KKO?
村上:「経験」と「勘」と「思い込み」って。KKDっていうのもありますね。「経験」と「勘」と「出たとこ勝負」。
― ほぉ~
村上:単刀直入に言えば、今まで観光協会さんはPDCAをしてこなかった。観光産業というのは非常に裾野の広い産業でしょ? まず来るのには交通行政が関わってくる。来た後は宿泊だとか、サービスだとか。食材、グルメってなると今度は農業とか。あとは製造業のところが関わってくる。実にいろんな人、多種多様な業態が関わってくるにもかかわらず、「経験」と「勘」と「思い込み」の中でやってきた。
村上 貢一
   だから今は、国も「それじゃだめだよ」と。20世紀型の地方創生――それは「企業誘致」と「公共投資」だったんだけど、21世紀型の地方の戦略に変えていかなきゃいけない。観光で言えば「インバウンド戦略」とかね。そういうなかで、しっかりとした責任を持った事業体が多種多様な業態をまとめ上げて、しっかりとした原資を持って観光産業をマネジメントしていかなければいけない。その事業体がDestination Management Organization 、いわゆるDMO。そもそもは欧米で始まった動きなんですけど、それを日本でも取り入れていこうと。
― 盛岡でもDMOを作って、地域の観光産業をマネジメントしてもらうべきだ、と。
村上:そうそう。やっぱり観光協会っていうのは弱いんだよね。まず、原資がない。第3セクターみたいなものだから。DMOは自分たちでしっかり原資を持って稼げるところを持った団体がやっている。だから盛岡でいえば、「盛岡まちづくり株式会社」。あそこはまだ体制として整ってないんだけど、あそこがしっかりとした原資を持ったDMOの事業体になれば良いのかなって、私は思っているんです。
― なるほど。ところで、今は産業環境準備委員会に所属(※当時)されているんでしたよね。盛岡の産業はかなり厳しい状況にあるようですが……
村上:うん。盛岡の製造品出荷額は、中核市の中で下から2番目。盛岡も昔はアイワとかJTとかあって、その頃は2000億円くらいあったのかな。それがどんどんじり貧で下がっていって、今はもう980億円くらいしかない。ちなみにトップは豊田市で、あそこは120兆円くらいあるのかな。結局、何をやるにしても財源がないとね。議員の方でもあれしてほしいこれしてほしいというのはあるんだけれども、財源の確保がないとできない。そういう中で、もっと産業の振興に努めていかなければならないんだけれども。……基本的に盛岡市の歴史として、文教都市というイメージもあるらしいんだよね。盛岡は文教で、あとは周辺市町村が産業を補完して……ということなんだろうけど、やはり財源の確保はしないとね。福祉にしても教育にしてもさ。
   現実として、この前の新聞で見たと思うんですけど、ベアレンビールが雫石に工場を建てる連携協定を組んだと。まぁ私から言わせれば「盛岡市は何をしているんだ」と。ベアレンビールといえば盛岡ブランドのフラッグシップじゃないの。それがみすみす雫石に工場を建てるっていうのは、ちょっとね、あまりにも無策すぎるね。その辺の引き留めというか、こちらからもっとアンテナを広げて情報収集することはできなかったのか。細かいところを言うと、みたけにあった岩手日報の工場も矢巾に移転したし、大きくいえば医大も矢巾に移転してしまいましたと。なんか見てればどんどんどんどん優良なところが流出してしまう。これは今ストップさせなければいけないし、そういう状況。それをすごく危惧しています。
― 先ほどのお話にも関係しますが、村上さんは「中小企業振興条例」について色々と動いてらっしゃいますよね。
村上 貢一
村上:「中小企業振興条例」は中小企業を活性化させる理念条例なんだけども、日本で初めて制定した東京の墨田区の例を挙げると、最初に条例を制定するときに係長以上の幹部職員が墨田区にある全ての事業所にニーズ、シーズの調査に回って、データを集めた。それを40年近く経った今でも、数年に一度データ調査はしていると。現在も墨田区ではその条例をもとに海外進出を図ったり、いろんな営業所をコラボさせたり、有名なデザイナーさんと提携したりしているんだけれども。墨田区から言わせると、今まで40年近く積み上げてきた歴史があるからできるんだと。条例なので、例えば区長とか、リーダーが変わったとしてもそこはずっと息づいている。そういう強みがあると。で、この条例は地域内で投資を循環させて、それが地域内で雇用を生むという投資の再循環の仕組み、それ(を作ること)が一番の命題なのだと。岩手県でも2015年に岩手県中小企業振興条例を施行したので、是非盛岡市でも作って、そういう方針の下にぶれることなくやってもらいたいと。ただ、盛岡市として今年(2017年)の取り組みの中で、『産業振興ビジョン』というのを取り組むことにしたと。まぁ一歩前進だと思っているけど、それはビジョンであって条例ではない。あくまでも引き続き条例の制定を私は力を入れていきたいと。
― なるほど。他にもこれから取り組んでいきたいことはありますか。
村上:やっぱり自然災害への対処。急激な地球温暖化、それを背景にして、去年(2016年)も台風10号が観測史上初めて岩手県から上陸して甚大な被害を受けて、その時に盛岡市内の商店や会社でも店を早く閉めたり、社員を早く帰したりしましたけども。実は、地域に『自主防災対』という組織が結成されているんだけれども、実際、自主防災対はどんな動きしてたのかというと、ほとんどなんにもやってないです。なぜかというと、今の自主防災対は当て職みたいな感じで、町内会長が自主防災対隊長とかね。言ってみればスキルが無い人たちがなっている。民間の資格に防災士という資格があって、今非常に(資格保持者が)必要とされているんだけども、資格を取るのに受験代とか研修費とかで数万円かかる。日本全国の自治体で、それに対して助成金を出そうという動きがある。例えば、防災士や、防災・減災に対するスキルを持っている人たちを、地域の自主防災対に最低でも一人か二人は配備する。それが担保になってその地域自主防災対の確立とか実効性とか有用性につながっていく。今のままだと絵に描いた餅ぐらいにしかなっていない。もっと盛岡で防災士の資格を持つ人を増やして、各地区に最低何人は必要だよ、というとこまで位置づけて、自主防災対に配備する。で、さらに地区ごとの特性とか特徴に応じた地区防災計画みたいなものの策定までいければ良いかなと。今はもう日本の安全神話は崩れた時代と言われている。天災は忘れた頃にやってくるというのはもう死語なので。去年(2016年)の台風10号のときにしみじみとそう思ったので、引き続き取り組もうと思っています。
― ここまで盛岡の課題について聞いてきましたが、逆に盛岡の強みはどこだと思いますか?
村上:盛岡は市内を雫石川、北上川、中津川と、三本の川が流れている。だから水と戦ってきた街なんだけれども、これはすごい財産なんだよね。それから、やっぱり文教都市。盛岡に三万人の学生がいるんだよ。確かに盛岡大も県立大も盛岡市内にはないけれど、盛岡が北東北で仙台に次いで若者の集まれる環境であることには違いない。だからその三万人の若者の受け皿をどうやって作って、卒業後に残って定住してくれるか。三本の川が流れている利点、文教都市である利点、それから県庁所在地であるという点。これらが強みですね。
― 最後に、盛岡の今後のビジョンについてお伺いしたいのですが。
村上 貢一
村上:地域の人材を活用して、地域の良いところを掘り起こしていくこと。そして交流人口を増やしていく。あとは、しっかりとしたデータに基づいて、PDCAをして、ピンポイントでまちづくりに取り組んでいくこと。良いものを大事にして、盛岡らしさを失わずに。「『盛岡らしさ』って何ですか」と言われても困るけどさ。だけど、この盛岡らしさを失わずにね。やっぱり産業基盤として観光は外せないと思うんで、三大麺にしてもまだまだポテンシャルはあるので、そこをしっかりと位置づけして手をかけて、若者の定住を図っていく。そういう盛岡にしていかなければならないと思います。
― なるほど。本日はありがとうございました。
村上:ありがとうございました。