Profile

藤澤 由蔵

[フジサワ ヨシゾウ]

盛岡市議会 / 現職
藤澤 由蔵

略歴

Interview

取材日 2017/10/4 聞き手 吉田拳
― 藤澤さんはどちらのお生まれですか?
藤澤:今、簗川(やながわ)ダム建設をやっている根田茂地区というところです。今もそこで生活しています。
― 子ども時代は、どのように過ごされてました?
藤澤:普通の田舎の子供です。目の前は田んぼと山しかありませんから。元気に遊んでました。目が覚めれば家にいないってやつです(笑)
― 小学校、中学校はどこでしたか?
藤澤:小学校、中学校までは、地元に(学校が)あったから、そこに行きました。昭和40年代末にはどちらも閉校してしまいましたけどもね。中学校を卒業した後は、静岡の方に就職したのだけれども、静岡県立三島北高という定時制の学校があったんですよ。そこで4年間勉強して、ちょうど20歳の時に盛岡に戻ってきたんですよね。
― 働きながら定時制の高校で勉強なさったと。
藤澤:そうですね。(学校の)そばに東レ株式会社という大手の繊維会社があって、今でもそこに工場があるんですけど、そこで仕事をしながら。
藤澤 由蔵
― 時代的に、みんな他県に働きに出る、という感じだったんですか?
藤澤:中山間地域に育った関係もあるので、経済的事情もあった。若年労働者が「金の卵」と言われた時代があって、我々はその末期ですね。私らの少し前で、小学校の集団就職がそろそろ終わり、くらいの時代。昭和46年くらいですかね。
― なるほど。地元に戻ってからは何をなさっていたのですか?
藤澤:半年ぐらいは知り合いのところで仕事をしていたんですけど、その後は市内の家庭燃料の販売の会社で働きました。いわゆるガス屋さんですね。そこで31年くらいになるのかな、働きました。その次に、今の(議員の)仕事。平成19年4月の選挙で初当選して、今に至ると。
― 議員になるっていうキッカケはなんだったんですか?
藤澤:ある年齢重ねて、地域のことをいろいろ考えるようになって。まあ、市内中心部のことは皆さん一生懸命やっているんだけども、うちのような中山間地域や東部地域は元気なくなってきているし。もう少し行政に目を向けてもらえるような仕事ができないかなあ……と思ったのがキッカケでした。地元には長く議員をやっている大先輩がおりましたので、その方と一緒に地域活動をしてきたのですけども、そろそろ勇退される、っていうお話も聞いてましたので。初当選の1期目はその方と一緒に議員のお仕事をさせてもらいました。その後、その方は勇退なさいました。
― なるほど。藤澤さんは現在3期目ということで、議員の仕事をする中で力を入れてきたことがあればお伺いしたいのですが。
藤澤:私は(議員になる前から)仕事の関係でずっと携帯電話を持っていたんです。ところが、地元、川目から奥の方、106号から外れた中山間地域の方は、携帯電話不通地域だったんですよ。鉄塔も何もない。若い方々からも、仕事で市内中心部に来たときは携帯電話を使えるんだけども、夜、家に帰ってくると全然連絡がつかない、電波が届かない(という声が上がっていた)。部下からも言われたことがあります。「どこにいるか分からない」って(笑)あの時は、麻生政権だったかなぁ。国の補正予算で、行政が携帯電話の電波塔を整備するという事業があったんですね。
藤澤 由蔵
   県議さんの方からその情報をもらって、なんとかそれを、ってことで市長にお願いして、本会議でもお願いして。ではやりましょう、ということで整備が始まって。ほとんど整備が終わるくらいの時に、東日本大震災があって、1年くらい完成が遅れてしまいましたけども。今はauやNTT docomoが電波を飛ばしていて、使わせてもらってます。これは、地域としては大きな課題だったんですよね。ただ、中山間地域のなかには、集落の関係で、今でも一部不通地域があります。また、最近では、ちょっと残念だったけれども、川目小学校の統合の関係のお仕事もやらせていただいたりとか。あと、梁川ダムについては、良かれ悪かれ地域の生活環境が変わる工事なので、私も間に入っていろいろ仕事をさせてもらったんだけども。まあ、その時すでに、ダムについてはほとんど決まる状態だったので、インフラ整備の関係で少し会合をもったりとか、地域の皆さんとお話ししたり。そういった仕事をしてきました。
― 僕は盛岡の出身ではないので、あまり詳しくないのですが、梁川ダムはどういった点で問題になったんでしょうか。
藤澤:一番は、自然環境の問題だと思いますね。あとは利水、水の利用の関係で、今そんなに無理してダムを作らなくても十分間に合っているのではないか、という方々もいましたね。もちろん、ダムには生活環境を守るための治水の役割があって、そちらが主だとは思いますけども。やはり当時は、自然を守ろうと一生懸命頑張っている団体さんいっぱいありますので、その方々の拒否反応が非常に強かったと思いますね。私も梁川ダムの勉強会に入っていました。まだ30代くらいでしたね。まあ、地元では、移転対象になった方の多くが、移転に対して明るいイメージを持っていたのは事実だと思いますね。ここを離れて、どこかで別な生活が始まるんだ、と。当時は、地域で賛成する人間と反対する人間とが、ちょっと別々な行動というか、会議をもったりしてました。まあそれでも、幸いにもある時期から一つの会に戻って、お互いに協力する体制をとれたんだけども。
― じゃあ、当時は結構バチバチしてたんですか?
藤澤:うん。というか、最初の、国でも県でもまだ何も決まっていない頃から、ダムができるだどうのっていう話を、子どもたちまでもがするようになったんですね。子どもたちは、もう明日にでもできるんだ、っていう話をしていた(笑) もちろん、何十年とかかる長い事業なんだけども、大人の話を脇で聞いたり、学校に行って聞いたりで。市内中心部の方々とお話しても、「今度ダムできるんだってな」という話がずっと先行していた。まだ国や県の正式決定がない、調査段階の頃から。
― 藤澤さん自身は、当時、どちらの立場だったんですか?
藤澤 由蔵
藤澤:最初はやっぱり反対しました。地域の人口が減る、集落が少なくなっていく、そういう危機感を持っていたし、いくら小さい集落でも共同でやる作業とか行事がありますよね。50軒、40軒でどうにか守ってきたものが、負担になってもうできない、というふうになっていくことは、もう目に見えていましたのでね。ただ、賛成で動いて一生懸命頑張っている方々もいましたし、いろいろ意見はやりとりしたんだけども、最終的には(土地は)個人の財産ですのでね。対象地域の方々は、やはり賛成する方がかなり多かったと思います。そこで、反対とかなんとかの協議じゃなくて、地域をこれからどうしようか、という方に議論をシフトしていったんですよね。
― なるほど。話は変わりますが、藤澤さんはご実家が農業をやってらっしゃるそうですね。
藤澤:やってますよ。いわゆる兼業農家ですね。親父とお袋はずっと農家をやっていて、私らも土日朝晩お手伝いしていたんですけれども、もう高齢でなかなかできないので、5、6年前からは私が主にやってます。女房にも手伝ってもらって。作れる量としては、食べるのには余るけれども販売するのには少し足りないくらい。でも、農地を耕作放棄地にするわけにはいかないので。
― なるほど。では、農業を含め、地域の課題についてお伺いしたいんですけれども。
藤澤:やはり少子高齢化ですよね。うちの集落なんかは、昔は50軒くらいあったんですよ。梁川ダム建設で水没したために半分以上移転してしまって、今は20軒足らず。高齢者が頑張ってやっているうちはいいんだけれども、体調を崩したりしてしまうと、もう耕作放棄地になってしまう。市内中心部にいる子どもたちが土日に手伝いに来て頑張っていた時代があったんですけど、今は限界に近いのかなと。
   地域の耕作面積が広いんだったら、農業法人を立ち上げたりできるけども、面積は少ないし、地形も悪いから集約は難しいし。あと、古い考えがまだ残っている地域なので、自分の財産に他人が入ってくることに拒否反応があるんですよね。耕作放棄地になっていても自分の財産だ、と。でも、どんどん高齢化して、もう県道沿いでも耕作放棄地が目立ってきているんですよね。
― なるほど。藤澤さんは、以前「消防団の待遇改善」についてご質問をされていますよね。
藤澤 由蔵
藤澤:私自身、30年近く消防団員やってました。分団長を2年やらせてもらいましたけれども、数年前に後進に譲りました。議会の行事と消防団の行事が重なるんですよね。で、現実として、今、消防団員は少ないし、国・県で定めた出動の報酬の問題もあるし、実際には報酬も満額出るわけではないし。あと、装備に関しては、市でも頑張って調達はしているんですけど、それぞれの分団が全部同じ状態ではないですね。すごく不足している訳ではないんですけれども、装備の充実は必要ですね。話はちょっと変わるけども、地域活動でも、趣味に関することだと若い方も結構集まるんだけども、コミュニティに関わること、自治会や消防団となると、なかなか入ってこない。もう定年を過ぎて高齢になった大先輩たちが地域を支えているというのが現状なんですよ。ぜひ若い人には、コミュニティにちょっと関心を持って欲しいなと思いますね。
― なるほど。ちなみに、先ほど趣味というワードが出ましたけれども、藤澤さんは何かご趣味はありますか?
藤澤:この仕事するまでは野球をやっていたんですね。当時は若くて、地元の青年会で作った野球チームで、休みになればずっと野球ばっかりやっていて親に怒られましたね。「農繁期の忙しいときになにやってんだ」と(笑) この仕事をする前までは会社の付き合いの関係でゴルフもちょっとかじったんですけれども、この仕事をやってからは、一切クラブに行ってません(笑) 「あんたそんなことやっている暇はないでしょ」とうちの女房に言われますのでね(笑) 「はい、わかりました」と(笑)
― なるほど(笑) 話を戻しまして、先ほど地域の課題についてお伺いしましたけれども、今後、中山間地域はどうやったら良くなっていくとお考えですか。
藤澤:なかなか難しい課題ですね。今若い人が一生懸命、イベントとかやり始めてるし、八幡通りのぽんぽん市とかね、凄い頑張ってますよね。ただ、イベントは一過性ですから、やはり、いかに定住者を増やすか。人口が減れば減るほど、公共事業も採算が合わなくなってきますから。
― なんとか定住者を増やしたいと。
藤澤:我々は、中山間地域に住んでるから何とも思わないんだけど、よそから来た人に、こんな素晴らしいところがあるなんて感激した、と言われることがよくあるんですよね。第三者から見ると、いろんな素晴らしい条件がいっぱい整っている。そこで、仕事を起こすのか、あるいは、何かイベントをやるのかって話で、今「地域おこし協力隊」の話を、ありがたいことにいただいているんです。うまく合致して、最後は定住なり、あるいは、注目される地域になってほしいなと思っていましたね。とにかく、地域をバックアップしてくれる何かが必要なんですよね。それは行政なのか、民間資金なのか、あるいは若い方の知恵なのか……。
― あ、「地域おこし協力隊」が来るかもしれないんですね。
藤澤:今、お願いしていました。ただ、その方々が何を目指してくるのか。地元では、とりあえずどんな想いを持って来る方でも迎え入れたい、という話で進んでおりましたけれどもね。
― なるほど。最後に、これから盛岡はどういった街になっていったらいいと思いますか?
藤澤:一番は、若者が定着していける仕事の環境。北上や金ヶ崎のように、地元に残れる環境があるのは羨ましいなと思いますね。せっかく技術や能力を持った若い人がいても、生活のために他の地域へ出て行ってしまう。人がいなくなるとね、いくらいろんな政策しても、絵に描いた餅で終わってしまうので、若者が残って仕事をできる環境を作っていきたいと思っていました。
藤澤 由蔵
   もちろん盛岡は、自然環境を含めて、素晴らしいところはいっぱいありますよ。それはそれとしても、もっとやれることはあるだろうなというと。今、西南あるいは道明地区の行政が頑張り始めているので、そういった政策を応援していきたいなとは思っていましたし、また、若者たちが残るためには、学校や保育所を十分に充実していかなければならない。そう考えていました。
― なるほど。本日はありがとうございました。
藤澤:ありがとうございました。