Profile

鈴木 俊祐

[スズキ シュンスケ]

盛岡市議会 / 現職
鈴木 俊祐

略歴

Interview

取材日 2017/10/6 聞き手 吉田拳
― 鈴木さんはどちらのお生まれですか?
鈴木: 陸前高田市の矢作町です。
― 子ども時代は陸前高田でお過ごしになられたんですね。どんなお子さんでしたか?
鈴木:極めて元気、活発だったと思います。それが行き過ぎて、子どもの頃、あまり食べるものがないので桑の木の実を食べるわけですね。それを取ってて、(木から)落っこちて、右足を脱臼しましてですね。当時、陸前高田には医療施設があまりなくて、大友という町まで、姉に助けられながら行ったことがありますね。
― それはかなり元気ですねぇ。鈴木さんは専門学校に進まれたそうですが、どちらに行かれたんですか?
鈴木:中央工学校に行きました。東京の北区ですね。
― じゃあ、工学系の道に進みたくて?
鈴木:いや、なんとなく(笑) そこは卒業間際の1月頃に辞めて、早稲田大学の産業技術専修学校という夜間の学校があるんですけれども、そこに行って、また勉強させていただきました。
― それはまたどうして……?
鈴木:簡単に言えば、知ってる仲間が多い、こっちの方がいいぞ~って話ですよ(笑)
鈴木 俊祐
― なるほど(笑)
鈴木:そこも、卒業をする前の正月に、病気で完全に身体が動かなくなって、仲間たちが運転してくれて東京から大船渡まで行きました。当時、僕のおばが大船渡の看護婦養成所の寮長と、大船渡病院の婦長をやっていました。それを頼って、即入院です。
― ちなみに、どんな病気だったんですか?
鈴木:親指ほどの大きな腫瘍の塊が、お腹の下あたりに出たんですよ。手術で取ってもらったんですけれども、痛みを我慢していたために、骨が変色しているということで、それを削り。削ったことによって、今度はすぐ動けないということで、ギブスベッド。私に石膏をかけて、身体の形のベッドを作るんですね。それに寝ると、身体が動かないわけです(笑) もちろん、動いてはいけない。それを62日間。
― 2ヶ月もですか!
鈴木:なによりもね、身内、親戚、親しい人みんな見舞いに来るんですよ。それでね、僕の方は元気なんだけれども、周りがですね、「これは俊祐死ぬのでは」と、最期のお別れとしてみんな来るわけですよ(笑) 本人だけはなんのこともないんだけれども。その期待にそぐわず、生きたわけですよね(笑)
― いやいや(笑)
鈴木:まあ、そんな笑い話のようなことがあって(笑) ひどい病気に遭ったということで、もう東京はいかないと(笑)
― それからはずっと大船渡でお過ごしになられたということですね。何かお仕事をされたんでしょうか。
鈴木:職業訓練指導員の資格を持っていましたから、大船渡職業訓練校で2年近く指導員をしました。その後、いろいろお声がけはいただいたんですが、最終的に盛岡にある久慈一戸建築事務所に入社したんですよ。15年くらい勤めましたかねぇ。
― 結構長くお勤めになられたんですね。その後はどうなさったんですか?
鈴木 俊祐
鈴木:当時の松園は、中央公園から向こうはなくて、小さなエリアだったんですね。でもやっぱり地域に議員がほしいんではないかという話になって。最初は町内会長さんに立ってもらおうとしたんですけれども、その方が1月になって立たないということになったわけですよ。それは困るんじゃないかってことで立候補しました。そしたら案の定、準備不足で私は落ちたんですね。だからなんというか、1回やってこっちも収まらないので(笑) じゃあ次も出よう、ということで、そのままやっちゃったんですよ(笑) そしたら次の選挙では、私の住む松園1丁目から6人立候補したんですよ。グランドホテル系の職員の方とか、電電公社の方とか。340~350世帯の地域から6人ですよ。これは大変だと。
― それは厳しいですね(笑)
鈴木:このままじゃ勝てない。金もないし、ということで考えた結果、朝立とうということになったんですよ。朝7時前に街頭に立ってね、挨拶をする。寒くても街灯に立つわけです。これが功を奏して、かろうじてとれたんですけれどもね。それまで朝立ちは誰もやってなかったんですよ。県内でも初めてだったと思います。あるとすれば関東圏あたりだけど、多分ないんじゃないかなぁ。昭和の話ですからね。だから、朝立ちの元祖は、一応僕ということになってるんです。
― へぇ~。それで現在7期目ということですね。
鈴木:7期目です。ですけれども、途中で県議会に2度立候補したんですよ。2度とも落ちてますけども。
― はぇ~
鈴木:地元から県議を、ということがテーマだったんです。そこで、市議会を3期やった後、県議選に出たんですが2回ともこぼれました。今考えると、選挙の戦い方もよく分かってなかったし、市議会を2、3期やったからと言って、県議会がとれるほどの筋でもないわけです。結局、もう県議選は辞めようや、ということに幹事長がなって(笑) 「どうするの?」って話したら、もう一回盛岡市議に戻ろうか、ということになってまた戻らせていただいて(笑)
鈴木 俊祐
― 市議選で返り咲きというのは珍しいですよねぇ……。落選して議員ではなかった8年間は、自分の設計事務所で食べていたという感じですか?
鈴木:そうですね。いい仲間がたくさんいたので、お仕事もいただけて。
― ちなみに、設計の知識やお仕事が議員の仕事に活きることはありますか?
鈴木:設計と議員との関係はあんまりないと思いますね。議員だから仕事をもらうということもないですし。まあ、微妙な線を引くということは大事ですが。
― なるほど(笑) 次に、議員としてのお仕事についてお伺いしたいと思います。
鈴木:まず、僕のテーマは『政治に真心』なんですよ。だから、どんな方々でもいいんですよ、お願いがきたり、電話がきたりした場合、できる限り相手の方にお伺いしてお話をする。僕のスケジュールがいっぱいの時は、時間を調整して、申し訳ないですが来ていただいていいですか、という話になるんですよ。高飛車にでてはいけない。常に365日、24時間、私のことを見てご支援してくれている人がいるという考え方でやっているわけです。そうすれば、嘘やごまかしのない仕事ができるでしょ。『政治に真心』というのは、そういう意味なんです。
― なるほど。鈴木さんは興味深い質問をいくつかされていますよね。例えば2016年6月の議会の「虹ヶ丘地区にJR山田線の新駅を」という質問なんか、とても面白いと思うのですが。
鈴木:(街を)歩くじゃないですか、歩いてて「え、ここは違うんじゃないか」「ここを、こう直したらよくなるんじゃないか」とか見えてくるんですよ。そしたら手に文字を書くんですよ。必ずペンを離さないんですよ。メモ帳か何かを持って歩きたいとは思っているんだけれども、ない場合は忘れないために手に書く。腕でも何でも、もうどこにでも書いちゃうんですよ。そしていいことはちゃんと形にするんですよ。それしかないわけですよ。
― なるほど。松園地域の課題に対してはどのような活動をしてこられましたか。
鈴木:まず、松園はできた時、舗装されてなかったんですよ。歩くと靴の上面が赤い砂埃を被る。だから、靴をみれば松園だって分かる、ってバカにされたような感じだったんですよ。なので、舗装を徹底的に、ということでね。まずは舗装、それが一つの任務でした。
― なるほど。ところで、鈴木さんは政務活動費を使っていないそうね。大変珍しいですが、それはどういったお考えで?
鈴木:議員報酬は誰が決めるの?ってこと。議員の給料は、議員が自分で決めるでしょ。それって、お手盛りに見えるでしょ、って。それはいいのか、って。
鈴木 俊祐
― へぇ~。政務活動費の申請もしてないんですか?
鈴木:しません。黙ってると、市議会事務局がみんなに公平に振り込むんですよ。だから、それを返すわけです。
― 政務活動費について、同様のことをやってらっしゃる方ってのはいるんですか?
鈴木:最近もう一人出てきたんですよ(笑) 公明党の方でね。盛岡市議会で、政務活動費を使うか使わないか、というのは、私と彼の2人しかやっていないはずです。
― へぇ~。領収書に関しては、今はだいぶ厳しくなったと聞きましたが。
鈴木:今は多少厳しくなったんですけれども、それは当然のことでもあるんです。領収書は、昔はほとんど以下同文で(済ましていた)。1人が明細を出したら、「彼と同じです。みんなで行ってきましたから」と、こういうわけ。明細は1人でいいんだ、と。使ってもよし、使わなくても良しという世界ですから。
― なるほど。次に、これからの鈴木さんの議会活動についてお伺いしたいのですが。
鈴木:会派が大きくなると、どうしても首長とこういう関係になってしまうんだけど、それは基本的に違うんではないか、と。ある議案に対して首長と議会のある会派が同じ意見になるということはあって当たり前ですけれども、首長の考え方を大きな会派が無条件に支持して、首長=大会派ということになったら、じゃあ議会って何なの?と。首長の言うことをただ聞くだけが議会ですか?ってことになるでしょ。だからそうじゃなくて、あくまでも首長はこう提案するけど、我々議員としては、こうなんじゃないか、ここは違うんじゃないかってことができなければさ、議会がいらないんじゃないのという話になるわけですよ。だから僕は、首長を応援する大勢の議員たちと一緒には行かない。
― なるほど。
鈴木:私たちくらいの年齢になればないけど、例えば、そういう会派の中に若い人が行くと、いじめられることだってあると思うんですよ。我が会派はこうやってるんだ、お前違うんじゃないか、ということがあり得るわけなんですよ。上の方の人たちに、1年生議員はやっつけられるからね(笑) だからね、大会派も結構なんだけれども、自分の考え方を十分に発揮して市民のために働ける会派はどこか、ということが基本だと思いますよ。
― なるほど。2016年12月の議会で「台湾訪問の目的と成果」についてご質問なさっていますね。これはどういった意図でされたんですか?
鈴木:首長は、基本的に友好投資のために行ってるんだと思うんですけど、それに議員がついていくっていうのはさ、首長のかばん持ち、要するに観光に近い形になるのではないかなと思っているんですよ。大行列で行く必要はなんなのってことですね。会派のみんなで行って勉強しようというのは分かりますけどもね。僕は、台湾とかは後援会の幹事長と2人で、僕のお金で行くんですよ。それは観光に近いんですよ。でも、議員名刺を一つ持っていくと色々説明してもらえるんですよ。こういう時は、議員名刺は使えるんですよ。
― なるほど。2016年6月の議会では「ILCの誘致状況」についてご質問なさっていますね。
鈴木: ILC自体には反対はしませんが、ただ誘致しました、はい、それで結構です、というのはね、それは首長さんたちのお話ですよ。俺がやった、俺がやったって言うわけですから。その後が大事で、それが市民にどう還元されるのか。確かに人がたくさん来ることによってね、飲食店なり食料品店なりは物が売れると思うからいいと思います。けれども、じゃあ一般市民に何が還元されるのってときに、何もないということでは困るのではないか、と。研究室という名前の大きい建物1つを提供して終わりでは、何の役にも立たないよね。研究施設ができました、学者さんたちは、朝そこへ行って、研究して帰って来て、寝てまた出ていく。それだったら、一般市民には何も還元されてないじゃないかって僕は思うんです。盛岡市としてたくさんの研究者が来るとなった際に、どう歓迎するのか。その人たちがゆとりを持って、市民とともにワイワイガヤガヤやるところをどれだけこしらえられるかって話ですよ。
   それからね、大きな施設を作るときに、地元の業者が受注する仕事っていうのは少ないんじゃないかなあ。大手の技術職の人たちがいっぱい来てさ、ひたすら大手の会社が儲けを得て、利益を向こうへ持っていくのでは何の役にも立たない、と。建設会社の下請けは、地元の業者さんにお願いしてくださいよっていうところをやらないとさ。最後出来た時には(地上施設が)2つの町しかないわけでしょ。あとはただ素通りするだけで何もない。建設過程において十分に地域に利益が落とされていったか、ということも大事なのでね。
― なるほど。最後に、盛岡の今後のビジョンについてお話しいただけますか。
鈴木 俊祐
― なるほど。本日はありがとうございました。
鈴木:ありがとうございました。