Profile

工藤 健一

[クドウ ケンイチ]

盛岡市議会 / 現職
工藤 健一

略歴

1956年
岩手県 山田町 生
1980年
岩手大学 工学部 卒業
同 年
滝沢村役場 産業課 就職
2011年2月
同 辞職
2015年8月
盛岡市議会議員選挙に初当選

Interview

取材日 2016/4/13 聞き手 吉田拳
工藤さんは山田町のお生まれで、岩手大学工学部を卒業して、最初は滝沢村(現滝沢市)の役場にお勤めになられましたね。
どうして公務員を選ばれたんですか?
工藤:物心ついたころから父親の警察官という職業に憧れていたんだけれども、母親が「警察官にはなってほしくない」という反対にあって。それでも公務員として人の役に立ちたいなということで。大学卒業と同時に市役所を受けたり、県庁を受けたり、役場を受けたりして、受かったのが役場だったと(笑)
なるほど~。そこでかなり長い間お勤めになられて。
工藤:30年です。
それだけ長い間勤められて、なぜ最後に議員さんに立候補しようと思ったんですか?
工藤:うーん、話せば長くなるんだけども……。
もともと人のために役だちたいと思って仕事についたので、(退職まで)あと五年を残して、滝沢村に一生を尽くすか、松園という自分が大学の時から住んできた場所に一生懸命尽くすか、という選択に迫られて……。
普通の職員は地方公務員だけども、議員は特別地方公務員で、身分上は普通の公務員と特別公務員という違いだけで、地域の人に役に立つ、奉仕する立場は同じだと思ったんだよね。それで選挙という大きな壁を乗り越えようとしたわけです。
そして一回目はダメで……。
それでもやっぱり諦め切れなくて、二回目の選挙でやっと市議会議員という立場を与えてもらいました。なので、これからが本当の仕事だなと思っています。
いや~、初当選ということで、おめでとうございます。
工藤:ありがとうございます。
ここで、ちょっと聞きにくいんですけれども……。
工藤:なんでしょうか(笑)
一度落選なされたと、その間、何をされていたのかなと。
工藤:路頭に迷っていて(笑)
(笑)
工藤健一
工藤:そんなことはないんだけども(笑)
私の場合は(2011年の)2月に仕事を辞めて、4月に予定されていた選挙の準備をしようと思っていた矢先に大震災に見舞われて……。
いつ選挙が行われるか分からない状態だった。そこで、片や選挙の準備をしながら、片や母親の実家がある山田町にも通って被災された方を励ましに行ったり、そういう活動はしたんだけども……。
結局8月に選挙が行われてダメで、そこから仕事はないわ、退職金も選挙のために使い果たしちゃうわで(笑)
それで自分でも働かなくちゃいけない。まだ55歳だったからね。あと5年は普通に働けるところを捨てて挑戦したわけだから。
仕事を探して、一時期、保険会社さんに採用がほぼ決まりそうになったんだけども。自分が役場に勤めていた時に区画整理士という国家資格を受験して持っていたから、その資格でコンサルタント会社から声がかかって、そこで働くことになったわけです。
こうして11月から震災復興に携わることになりました。4年間、民間企業に入っていろんなことを勉強したり、見たり、被災にあった人のお手伝いができたということは、自分にとって大きなことでしたね。
それまでずっと公務員としてお勤めだったわけですよね。民間に入って「あ、違うな」と思ったことはありますか?
工藤:いっぱいありますね(笑) ほんとにねぇ~。例えば役場にいた時は国の方からの指示を県がいったん受けて、県から市町村に指示が来て、事務手続きや調査をやるという仕組みになっているんだけども。
それがその会社に入ったら同じような内容のことが直接国の情報として企業に入ってきて、それをもとに営業マンが活動していた。
公務員は上の方の指示とか流れで動く。
この違いは大きいと感じましたね。
その4年間でいろんな経験をなさったんですね。
ところで、滝沢に長らく貢献なさってきた上で、松園に軸足を移されたということは、松園地区にかなり思い入れがあるということですよね。
工藤健一
工藤:そうですねぇ。
何年くらい住んでいらっしゃるんですか?
工藤:40年くらい(笑)
(滝沢役場の)仕事をしていた30年間より松園に住んでいる方が長いんですよ。
新興住宅といいながら。昭和47年に第一期分譲が始まって、私たち家族は昭和49年に引っ越しているんですよ。
西暦1974年ですね。1980年に就職してからしばらくは脇目も降らず自分に与えられた仕事に没頭していたんだけども、10年くらいして町内会の役員を松園で始めたんですよ。
仕事をしながら役員をしていたのは20年くらいで、今もやってます。
きっかけは小学校のPTAの役員にさせられた(笑) そこから町内会にも入っていったような感じ。
へぇ~(笑)
工藤:いろんなきっかけがあって、松園小学校に校長先生として赴任してきたのが上田中学校時代の恩師だったというのがあって(笑)
恩師から言われると断れないんだよね。「PTAの会長は決まったから、工藤君ちょっとでいいから副会長をやってくれ」といわれてね。そんな感じでね、PTAの副会長をさせられて。
やっている間に町内会から声がかかって、「やっぱり地元に尽くさなきゃね公務員というのは」なんて変な説得をされてね。
そこからずっとやってたんだけど、途中で10年くらいやって仕事もすごいピークで徹夜続きの時があって町内会やめさせてほしいって言ったんだけど、その当時から長老の人たちは悪くて(笑) 「自分が辞めたかったら次の役員を見つけてから辞めなさい」と。
それらしく聞こえるんだけど、自分にその余裕がないから辞めたいわけで、自分と同じ立場の人に同じことを進められないんだよね、実際はね(笑) 今考えるとね、してやられたなぁと思うんだけどね(笑)
そうやって松園で活動してこられて。今もたくさん活動なさっているんですよね。
工藤:そうだねぇ。
今朝も見守り隊を一時間ばかし行ってきたし、冬はスノーバスターズで町内会の20人くらいの人と雪かきのボランティアをするんだけどね。
スノーバスターズはどんな方がやられているんですか?
工藤:70歳以上ですよ(笑)
「定年退職して、町内の役員はできないけど、スコップ持ってその辺手伝ってあげるか」っていうボランティアを6年ぐらい前に町内会の会報を通じて募集したら、当時は30人くらいの応募があって。
工藤健一
へえ~
工藤:まだ65~70歳くらいの人たちがねスコップ持って公園に集まって、雪が降ってきたときはそこから歩道の除雪だけでもやろうと。
手作業だけだと大変になるということで、そのあたりから盛岡市が小型の除雪機械を町内会に貸し出しますよっていう制度を作ってくれたのよ。
最初2台借りて、それを先頭に後ろから前から見守りながら雪かきのスコップをもって手伝ってくれたのがスタートで。
今はもうその人達も5、6年経つので、70過ぎると段々とつらくなってきたみたいなのがあって(笑)
ちょっとずつ活動は少なくなってきてるんだけども……。
段々と、いわゆる高齢化が。
工藤:高齢化してますね。
松園地区の現状として、そういうところがあると。
工藤:うん。毎年3月と9月に盛岡市で地区別人口っていうのをホームページに掲載してくれるんだけど、その都度、松園地区の高齢化率、65歳以上の割合を自分なりに計算してるんだけど。
ここ3年、4年ぐらいの間、松園二丁目の町内会は49%から0.何パーセントずつ上がってきて、今は50%ギリギリになっている。
で、他の地区も計算すると北松園地区はまだ24%から30%行かないくらい。古い松園はほぼ40パーセントは超えてて、一番が西松園一丁目で、建売分譲を一番最初に近い形で分譲したところが、そこが49.9%だったというのが分かって。ついでに言うと、あと20年後そのままの人口構成で上がっていった場合にどうなるか計算してみたら、もう高齢化率はうちの町内会でも25パーセントくらいに下がるんですよ。ただし人口とか世帯数は約3~4割減ると。
うーん、なんといいますか、日本の縮図のような感じですね。
工藤:だから増田さんが提唱した地方消滅まではいかない。
守られることは守られるんだけども、人口は全体の3割ぐらいは減るだろうという予想はされる。地域でも日本全体でも。
西南地区あるじゃない。本宮とか向中野地区の。あそこは7~15パーセントくらいの間で75歳以上の人が極端に少ない。
でもいないわけでもないんだよね。元々の住宅があるから。
で、見ていくと、そこが20年経つと高齢化率が30%くらいになっていく。
今の人口がそのままスライドして、今の10~20歳くらいまでの人たちは今の程度は生まれるだろうという想定を適当にいれて、人口推計してみるとそんな感じ。
工藤健一
そうすると、新しく開発したところでもいずれは同じような感じになってしまうと。
ひいては盛岡市全体が今、高齢化していると。
工藤:高齢化率が高いところがだんだん低くなって、今若いところがだんだん年取ってくる。当然だけどね。
それの人口推計は盛岡市もしているんだけれど、条件は今のままの条件にしているんだよね。
そこに例えば金ヶ崎のようにトヨタ系の工場が誘致されたり(すれば変わってくる)。
盛岡の誘致企業としてはITの企業が役割分担としてある。
IT産業に携わる人って年を取ってくると別な業種にかわっていくんだよね。
30代、40代の若い世代がITを守っていく。ITを誘致することによって、世代交代しながら(地域の)人口は保たれる。
それをどの場所に、どういうふうに貼り付かせるか、というのがこれからの大きな課題。大きな企業、例えば六本木ヒルズみたいなビルが、東北のどこか、例えば仙台にドンとあって、それを中心として東北に様々なIT関連企業が分散する、というような流れが出てくれば東北から人口が外に出ていくということを阻止できると思うんだよね。夢としては、盛岡はIT産業をベースにしながら、ロボット工業を誘致したいんだよね。
そうやって企業を誘致していくことで盛岡市を元気にしていこうと
工藤:したいなと。そういう想いがありますね。
なるほど~。
そういった経済政策で若い人を元気にしていく一方で、今、工藤さんは高齢者対策特別委員会に入ってらっしゃいますよね?
工藤:よく知ってますね(笑) 調べました?
調べました(笑)市議会報読んで(笑)
そうやって高齢化していく現状に対応することも大事ですよね。例えば松園で、福祉や高齢化の分野で、どんな問題が出ていますか?
工藤:今一番は買い物弱者というか、買い物に行きづらい(という問題がある)。
高低差がある地域なので、自転車では買いに行けない。
バスに乗って、例えば生協なんかに買い物に行くと、段ボール箱一つ分くらいになると届けてくれる。
そういうサービスがあるから、まあ、まだどうにかなっているけども。
公共交通機関……
バスとかが重要になってきますよね。
工藤:そうそう。
すごくバスが重要なんだけど、今年(2016年)の4月4日からバスの時刻表が変わって、今まで朝の7時代に5本くらいあったバスが1本になっちゃった。
多分、効率化を狙った岩手県交通の施策だと思うんだけど。結局、松園で働く人が少なくなると、バスを利用して市内に出かける人が少なくなるということだから、おのずとバスの本数も減っていくということだと思うんだけど、減らし過ぎだと思うんだよね。
これについてはバス利用者にアンケートを取って、結果をまとめて、県交通にあたってみようと思うんだよね。
具体的に、議員さんのお仕事としてやろうと。
工藤:そうだね。すぐにやんなきゃいけないね。
それは記事に書いても大丈夫ですか?
工藤:書いても大丈夫だと思うけど(笑)
工藤健一
もしかしたら、僕らがWEBに掲載するころには行動なされているかもしれないですけど(笑)
工藤:そそ。もうやんなきゃいけないと思ってるから(笑) まあ、時代や社会は常に動いているわけだから、動いている社会に対応するような動き方をしていきたいと思っている。だから、一本筋が何かあるかって言われると、自分が住んでる地域の人たちが一人でも「ああ、ここに住んでよかったな」と言ってくれるような地域にしていければ一番。それが自分の仕事だと思うし。その一本の柱を持ちながら、例えばバスが不便に変わったらすぐ対応したいし、どっかのスーパーがやめてしまう、不便になってしまう、そこに何か誘致をしなきゃいけない、ということはすぐに対応していかなきゃならないと思ってます。
なるほど。そのような形で議員さんの仕事を行っていきたいと。
いきたいですね。
いい感じで締まりましたね(笑) 本日はありがとうございました。
ありがとうございました(笑)

※ 本記事は平成28年度岩手大学Let'sびぎんプロジェクトの助成により制作されました。 ※
岩手大学Let'sびぎんプロジェクト